炭屋さんの「行ってみました」

旅する炭屋~炭屋さんだって旅したい~

趣味分薄め。出先で立ち寄ったところをカテゴリ別にUPしています

基本、訪問日に更新しています

訪問後に加筆修正する場合があります。ご了承願います

こちらもよろしくです



行くぜ、バス停。(バス停の写真を取り上げています)
行くぜ、側線。 側線やら引上線あたりを訪問したら書いています
炭屋さんの「乗ってみました」(乗り物に乗ったら上げるブログです)



旧跡

九州鉄道発祥の地

博多駅から少し北西へ離れたあたりに意外なものがありました。 九州鉄道発祥の地の記念碑です。九州の鉄道はもちろん民間が興したものが始まりで、九州鉄道が博多~千歳川(今の久留米に相当)に敷設したものが最初と言われており、博多駅はこの地にあったそ…

鎮西橋

門司港レトロ遺構の1つです。 ここには元々小規模ながら運河が開かれていて、そこに架けられた橋がこの鎮西橋だった、といわれています。 この運河付近を中心に銀行や商社が立ち並び「一丁ロンドン」と呼ばれていた時期もありましたが、今は運河は埋め立て…

不破の関跡

律令時代に設けられた鈴鹿、愛発とならぶ三関のうちのひとつです。 江戸時代の関所よりも古いため、跡らしきものはほぼ消えていますが、後年の調査研究で推定されたのがこの位置、ということになります。 今は個人宅の敷地内になりますが、その敷地内にも「…

横須賀城

気がついたら結構城めぐりしてますね、僕… ネーミングだけだと神奈川県にありそうな感じがしますが、実際には静岡県の掛川市の外れにあるお城です。 カテゴリとしては平城なんですが、小高い丘を巧みに利用し結構高低差がついています。 復元したものなんで…

白河関跡

松平定信が比定した、ということで江戸時代の関所跡と勘違いしていましたが、こちらは律令時代よりはるか前から存在した古い関所跡でした。 なんとなく神社っぽい雰囲気がしますが、関所内に白河神社があるためです 空堀跡があったり土塁跡があったあたりか…

白河二所関跡

白河関跡から西へ6キロほどのところにあり、現在の国道294号の栃木福島県境付近にあります。 かつての奥州街道に設けられた関所で、白河関とはまた違うものとして認識されてます。 「是より北 白河関」の石碑がすぐそばに建っています。この関所名を聞いて何…

須賀川一里塚

せっかく奥州街道を走ってるのだから、ということで… 来ました。須賀川の一里塚です。しかもここは国内でも数少ない 当時の一里塚のデフォルトだった街道の両側に榎が植えられた塚が2つ、というのがそのまま今も補修を重ねつつも残っているという事です。 国…

古代鼠ヶ関跡

特に何かある、という風ではなく石碑のみです。 古代とありますが、期間としては律令時代から鎌倉時代あたりまでというのが公式見解のようです。 勿来関、白河関と並んで奥羽方面の重要な関がここにはあったそうです。 すぐ傍には羽越本線の鼠ヶ関駅がありま…

お伊勢の宮

甲府から秩父を結ぶ国道140号で、そろそろ山梨の街が終わり山の中へ入っていく…そんな所にありました。 最初は名前から神社かお寺かと思ってましたが、カテゴリとしては史跡になるようです 確かに神社仏閣の雰囲気はなく、どちらかというと遺跡的な雰囲気な…

東海道三ツ谷の一里塚跡

一里塚ではなく、一里塚「跡」というのがポイントです。 盛り土に榎、というのが一里塚のデフォルトなのですが、あくまで跡なので小綺麗なオブジェがしつらえてありました。 隣は海蔵川の土手道で桜がたくさん植えてあり、時期が来るとこのあたりは見事だと…

みもすそ川公園

漢字は「御裳川」と書くそうで… 壇の浦の合戦場跡を含む関門海峡の下関側にある公園で、とりわけ目を引くのが ずらりと並ぶ「長州砲」です。加農砲と呼ばれてましたが、恐らく今のキャノン砲のことだと思われます。 幕末期にバリバリの攘夷だった長州藩が関…

壇の浦の古戦場跡

歴史の教科書を読んでたら必ず目にする合戦名だと思います。 平家滅亡のカウントダウンは富士川の戦いで始まり、ここ壇の浦の戦いで終焉を迎えました。 最初は平氏が優勢だったそうですが、途中で潮流が変わり源氏側が猛攻を仕掛けるカタチになり、最期は平…

阿野一里塚

名鉄豊明駅から国道1号を名古屋方面に走ると、本線から分岐する「いかにも」な旧道を進むと辿り着きます。 一里塚とは元々街道の両側に対になっているのがデフォルトで、明治期以降に拡幅されたり区画整理されたりして片側だけが無くなるパターンが多いので…

東海道舟橋木橋跡

橋は現存せず、その跡だけです 天竜川右岸の、かささぎ橋の浜松市側に六所神社という神社がありますが、その境内に説明文がひっそりと立っています。 六郷の渡しとか大井川の渡しに代表されるように、ここ天竜川にも橋はなく人足による渡しがありました。明…

武市瑞山殉節の地

殉節とは、殉難とほぼ同義ながら殉難よりはより思想的なものを感じます。 武市瑞山とは、土佐勤王党の領袖である武市半平太のこと。尊王攘夷をもって日本を支えるという思想のもとで幕末の荒波に漕ぎ出しましたが、世の流れが武市半平太の意とは真逆に動き出…

吉田東洋殉難の地

幕末の激動にのまれた政治家、と言えましょう 土佐藩の家老で参政という役職についていた吉田東洋元吉。西洋の事情にも明るく、早くから公武合体の必要性を説いていましたが、武市半平太率いる土佐勤王党から攘夷の障害と見られこの地で暗殺されました。 現…

坂本龍馬生誕の地

維新の立役者、坂本龍馬が生まれたところです。 大通りに面したこの地ということですが、今は隣が病院でもう一方は商店のようです。 ベンチや飾りが近くにあって一応観光地らしい体裁は整っていますが、基本住宅地の中ということもあってかひっそりとした雰…

高知城(高知公園)

いつの間にか城めぐりが趣味になってる炭屋が、行ってみたかった城のうちの1つです。 追手門から…仕事で遠くからは見ることはあっても中に入るのは初めてです。 段数は少ないものの、それでいて急勾配な石段を登りまず見たのは山内一豊の妻の像…って馬? 説…

高岡城趾(高岡古城公園)

今の高岡城趾は城跡というよりは、公園の側面がかなりパーセンテージを占めています。 本丸のあったあたりは広い芝生が敷き詰められ、遺構といえば石垣を組成していた石がオブジェとして置かれているくらい… 加賀藩初代藩主、前田利長像です。高岡城は富山城…

富山城趾

富山駅からも徒歩圏内。都市の真ん中にある城跡です。 見えてる櫓は天守ではなく二の丸か三の丸といったところでしょうか。全体的に白っぽいような気がします。 城に石垣は付きものですが、これほどに大きな石は見たことがありません。等間隔に何ヶ所も…何か…

佐々成政剃髪跡

炭屋が私淑している故・佐々淳行氏の祖先にあたる戦国武将の佐々成政ゆかりの地です。 富山城主だった成政のところへ豊臣秀吉の先鋒としてやってきた前田氏の攻撃を受け敗北、恭順の意を示すものとしてここで剃髪をし、仏道に入ったと言われています。 結局…

六地蔵一里塚

あと数キロで中山道と合流、といったところで、住宅地の中にぽつねんと佇んでいます。 東海道沿いということで、家屋はどちらかというとベテランの部類に属する家が多いのですが、その周りは新興住宅地といってもいいほど垢抜けています。 小ぶりな盛り土の…

泉一里塚

東海道をテレテレ流していたら、一里塚らしき盛り土が見えたので… ビンゴでした。東海道の泉の一里塚でした。 実際は東寄りの野洲川にあったそうですが、こちらへ移設されたとか。バンバン車が通る国道1号から川一つ隔てたこの地にひっそりと一里塚があるという…

小坂の水口石

東海道の路傍に置かれた石です 家屋の曲がり角に置かれていた、というのがそもそものはじまりで、「力石」という名前があったことから所謂「要石」的な存在だったのかもしれません(そこまで縁起的なものかと言えば疑問符が付きますが) 東海道はこの力石を軸…

垂水斎王頓宮跡

一見神社のように見えますが、厳密には神社ではないとも言えます。 斎王とは伊勢神宮に仕える天皇家出身の巫女のことで、平安時代あたりは盛んに都から伊勢国へ派遣されていました。 頓宮という言葉自体は天皇が滞在した場所、という意味合いで使われていま…

七里の渡し跡

2ヶ月ほど前に宮の渡し跡を訪問しましたが、あれの三重県側の船着き場の遺構です。 こちらも達筆な書体で彫られた石碑があり、どうやら街道が無くなってからのものと見受けられます。 小ぎれいに整備され公園的な雰囲気にはなってますが、資料によると当時か…

御油の追分

以前、日永の追分を訪問しましたが、あれの三河地方版といったところです。 ものものしい石碑と常夜灯台が並んでいますが、ここが東海道と姫街道との分岐点で、これらは今で言う国道の方向表示板といった役割を持ってます。 姫街道の途中から分岐する鳳来寺…

三永の石門

国道2号線を広島から岡山方面に走っていると、東広島呉道路のインターを過ぎたあたりで、古ぼけた石積みのモニュメントらしきものが見えます もっともこれはただのモニュメントではなく、旧国道を跨いだ水路橋で、現役当初は三永の石門と呼ばれてました。 明…

僧清虚火焚場跡

この部崎には灯台のルーツとなるような史跡があります。 昔から関門海峡は浅い瀬の部分もあって船が座礁するなど「海の難所」と呼ばれてました。 そこへ諸国を廻っていた僧侶の清虚が、この状況に心を痛めこの地で火を焚き行き交う船にここに陸地が有ること…

伊志見一里塚

伊志見と書いて「いじみ」と呼びます 国道9号を西へ走っていると、それまで宍道湖沿いに併走していた山陰線がスッと離れますが、その先にこの一里塚があります。 一里塚自体はこのこんもりとした土かぶりがあるだけで、かつては近くに松の木が生えていたそうで…

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