炭屋さんの「行ってみました」

旅する炭屋~炭屋さんだって旅したい~

趣味分薄め。出先で立ち寄ったところをカテゴリ別にUPしています

基本、訪問日に更新しています

訪問後に加筆修正する場合があります。ご了承願います

こちらもよろしくです



行くぜ、バス停。(バス停の写真を取り上げています)

炭屋さんの「乗ってみました」(乗り物に乗ったら上げるブログです)



国道2号笠岡バイパス

国道2号線は比較的バイパスが整備されてる部類の国道ですが、岡山県西部のこのバイパスだけは謎な部分が多いです。 広島県から岡山県に入ったあたりの笠岡市内の、それもかなり南の方からこのバイパスは始まります。 まず、現道からは何の案内もないのがまず…

国道2号旧道(山口市鋳銭司)

国道を走っていると、急に線形が良くなって走りやすい区間がありますが大概はバイパスが出来て、それまでの道は旧道になっています。 山口市を走る国道2号で、小郡バイパスを抜けると不意に広めの市道が左に分かれて行きます。これが先述した旧道化した国道2…

和布刈神社

和布刈、と書いて「めかり」…はい、難読地名です(笑) 意外とこじんまりとしたお社です。緑青が吹いており古社としての風格はたっぷりとあります。 もちろん地上側からお参りしたのですが、ここの神社は鳥居が海側に向かって立っているのが特徴ですね。海の神…

みもすそ川公園

漢字は「御裳川」と書くそうで… 壇の浦の合戦場跡を含む関門海峡の下関側にある公園で、とりわけ目を引くのが ずらりと並ぶ「長州砲」です。加農砲と呼ばれてましたが、恐らく今のキャノン砲のことだと思われます。 幕末期にバリバリの攘夷だった長州藩が関…

壇の浦の古戦場跡

歴史の教科書を読んでたら必ず目にする合戦名だと思います。 平家滅亡のカウントダウンは富士川の戦いで始まり、ここ壇の浦の戦いで終焉を迎えました。 最初は平氏が優勢だったそうですが、途中で潮流が変わり源氏側が猛攻を仕掛けるカタチになり、最期は平…

関門人道トンネル

以前、国道の関門トンネルは紹介しましたが関門間には鉄道と高速道路、国道以外に人道(自転車、原付含む)だけが通れるトンネルがあります。 和布刈神社の鳥居とは反対側に、門司側の人道口があります。トンネルは感覚的に跨線橋や歩道橋と何ら変わりのないイ…

関門橋

ご存じ、関門海峡の直上に架かる高速道路の橋です。 ちなみに高速道路としての「関門橋」は下関インターから門司インターまでの区間を通るものとして定義付けられています。 門司側から。いわゆる「吊り橋」で、1973年の開通時は日本最長の橋と言われていま…

烏尾峠

福岡と行橋を結ぶ国道201号にあり、地元の人は「からす峠」と呼んでるそうで… 飯塚から糸田側。緩い登り坂でやってこれます。九州でありながら冬季は積雪もあってか通行止になることもしばしばあります。 峠の鞍部付近にある謎の石。アスファルトで整地して…

国道25号(通称・非名阪)

大阪市と四日市市を結ぶ国道ですが、途中の名阪国道に並行する「非名阪」と呼ばれる区間です。俗に言う「酷道」です。 国道1号を土山方面に走らせると、普通の交差点の看板が…これだけなら何の変哲のない表示に思えますが… だんだん「らしく」なってきました…

参宮國道碑

国道1号を西に向かって走り、桑名市に入るあたりにひっそりと立っています。 四日市に向かって走っているとそれまで1車線だったのが2車線になるところがありますが、その変わり目あたりに立っています。 特に説明文もなく、横に植わっている樹木といい感じで…

阿野一里塚

名鉄豊明駅から国道1号を名古屋方面に走ると、本線から分岐する「いかにも」な旧道を進むと辿り着きます。 一里塚とは元々街道の両側に対になっているのがデフォルトで、明治期以降に拡幅されたり区画整理されたりして片側だけが無くなるパターンが多いので…

東海道舟橋木橋跡

橋は現存せず、その跡だけです 天竜川右岸の、かささぎ橋の浜松市側に六所神社という神社がありますが、その境内に説明文がひっそりと立っています。 六郷の渡しとか大井川の渡しに代表されるように、ここ天竜川にも橋はなく人足による渡しがありました。明…

100ヵ所訪問到達御礼

一昨日の桂浜の記事でどうやら100ヶ所目の訪問になったようで・・・ 100ヶ所ほど回ると、カテゴリでも自分の行ってみたいところの傾向が掴めてきたようで、この4日間の旅でもある程度の命題を持って回っていました。 とは言え、これから仕事が詰まってきたり…

一条橋~清和学園前

今日電車に乗ってて気づいた事があります。 とさでん交通軌道線の電停ですが… こちらが一条橋電停です。こじんまりとした電停です。 で、こちら側が清和学園前電停です。学校の看板が出ているのできっと通学時は賑わうと思います。 何に気づいたのかというと…

武市瑞山殉節の地

殉節とは、殉難とほぼ同義ながら殉難よりはより思想的なものを感じます。 武市瑞山とは、土佐勤王党の領袖である武市半平太のこと。尊王攘夷をもって日本を支えるという思想のもとで幕末の荒波に漕ぎ出しましたが、世の流れが武市半平太の意とは真逆に動き出…

吉田東洋殉難の地

幕末の激動にのまれた政治家、と言えましょう 土佐藩の家老で参政という役職についていた吉田東洋元吉。西洋の事情にも明るく、早くから公武合体の必要性を説いていましたが、武市半平太率いる土佐勤王党から攘夷の障害と見られこの地で暗殺されました。 現…

坂本龍馬生誕の地

維新の立役者、坂本龍馬が生まれたところです。 大通りに面したこの地ということですが、今は隣が病院でもう一方は商店のようです。 ベンチや飾りが近くにあって一応観光地らしい体裁は整っていますが、基本住宅地の中ということもあってかひっそりとした雰…

高知城(高知公園)

いつの間にか城めぐりが趣味になってる炭屋が、行ってみたかった城のうちの1つです。 追手門から…仕事で遠くからは見ることはあっても中に入るのは初めてです。 段数は少ないものの、それでいて急勾配な石段を登りまず見たのは山内一豊の妻の像…って馬? 説…

浦戸大橋

桂浜からもほど近く、流麗な造形をしています。 前後の取り付け部も合わせて全長1480m、海面からの高さは約50mとの事。 浦戸湾自体が大きく入りくんでおり、橋のたもと同士の行き来が渡し船しかなかったことから、架橋の気運は元より強かったとの事。有ヒン…

桂浜

はりまや橋に並ぶ、高知の鉄板の観光地ですね。 のっけから雰囲気出ています もっと長い砂浜を予想してたのですが、意外とコンパクトですね…かく言う炭屋は3~5歳くらいの時に親に連れられて家族旅行で来たことがあるそうなのですが…全然記憶に( ´・ω・`) 砂浜…

地球33番地

かなりスケールの大きそうな名所です 要するに地球上の緯度と経度が交わるポイントが高知市内にある、ということです。東経133度33分33.333秒・北緯33度33分33.333秒と3がズラリと並びます。 高知市内を流れる江ノ口川。住宅地の中を静かに流れていますが、…

はりまや橋

最近は「がっかり名所」でもなさそうで… ご存じ、高知市の中心部にあるはりまや橋です。謂われは播磨屋という商人が私橋として堀に掛けたのがルーツで、歴史はそれなりにある名所です。 高知市の都市化が進むにつれ、道路の一部となり地名だけが残り結果「が…

新湊大橋

元々は潟だったこの地を切り開いて富山新港を作り、その河口に渡されたのがこの新湊大橋です。 万葉線の終点である越の潟電停を降りると目の前に…橋がかかる以前、さらに新港以前はこの電車が旧射水線経由で富山側へ直通してたそうです。 すらっとした斜張橋…

射水神社

高岡城趾内にあります。奈良時代よりも古い北陸でも歴史ある神社と言われています。 元々は少し離れた二上村で祀られていたのですが、明治期になって神社の建て替えが計画され、その後紆余曲折を経て城趾に遷座されました。 二上神を祀る神社で、歴史の割に…

高岡城趾(高岡古城公園)

今の高岡城趾は城跡というよりは、公園の側面がかなりパーセンテージを占めています。 本丸のあったあたりは広い芝生が敷き詰められ、遺構といえば石垣を組成していた石がオブジェとして置かれているくらい… 加賀藩初代藩主、前田利長像です。高岡城は富山城…

高岡大仏

日本三大大仏、だそうです 奈良の大仏、鎌倉の大仏、そしてこの高岡の大仏ということなのですが、先の2つのお寺に比べるとここ大佛寺はこじんまりとしています。 鎌倉の大仏よりももう一回り小さいかな…1221年に建立されたのですが、近世に入っての大火(火事…

中島閘門

以前、江戸川水門に行ったことがありますがこちらは水運重視の設備のようです。 閘門とは船の運航に際し水位の異なる部分を締め切り、進行方向の水位へ調整するというのが基本的な役割です。 ここ富岩運河の中島閘門もそういった役割を果たすべく設けられた…

東岩瀬駅舎

東岩瀬駅、というと富山ライトレールの電停ですが訪問したのは国鉄~JR時代の駅舎です。 リフォームしたての板壁の駅舎です。駅としての機能はなく、今は地域の休憩所的な扱いになっています。 待合室、事務所関係なくブチ抜いて全てを休憩所にしています。…

富山城趾

富山駅からも徒歩圏内。都市の真ん中にある城跡です。 見えてる櫓は天守ではなく二の丸か三の丸といったところでしょうか。全体的に白っぽいような気がします。 城に石垣は付きものですが、これほどに大きな石は見たことがありません。等間隔に何ヶ所も…何か…

神三ダム

神通川に設けられたダムで、神一ダム・神二ダムに続いて建設されました。 1954年竣工。発電が目的で、上流の神二、神一で発電した水を調整する意味で設けられた側面があります。故に堤高15mというこじんまりとした堤体となっています。 それでもゲートの類は…