炭屋さんの「行ってみました」

旅する炭屋~炭屋さんだって旅したい~

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行くぜ、バス停。(バス停の写真を取り上げています)

炭屋さんの「乗ってみました」(乗り物に乗ったら上げるブログです)



御油の松並木

東海道が開設された頃から保存された松並木で、戦前からすでに国の天然記念物に指定されたといわれてることから、資料の価値としても一級品のものとなっています。
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慶長年間にはすでに整備されていたといわれており、御油宿から西隣の赤坂宿までの600mの街道沿いに続く並木道で、現在では保存会がその管理にあたっています。
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御油側の入口はこんな感じで、道こそ今風に整備されていますが、松が重なり合う姿は圧巻です。
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中間あたりです。こうして佇んでいると旅姿の武士や町人の姿がこちらにやってきそうな錯覚すら覚えます。
これだけ立派な松並木を今の世に残してくれている保存会の関係者の努力に頭が下がる思いです。

御油の追分

以前、日永の追分を訪問しましたが、あれの三河地方版といったところです。
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ものものしい石碑と常夜灯台が並んでいますが、ここが東海道と姫街道との分岐点で、これらは今で言う国道の方向表示板といった役割を持ってます。
姫街道の途中から分岐する鳳来寺山への方向も示しています。
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これが東海道の今の姿で、生活道路といった雰囲気になっています。現在の東海道こと国道1号はここから50m離れたところを走ってます。
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姫街道の起点を示す看板が掛けられていました。と言いますか、僕は姫街道の起点がここだということを初めて知りました。
やはり現地を見ないと判らないことがありますね…

広島空港大橋

JR山陽線に乗っている時から気になっている場所だったので…
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通称・広島スカイアーチと呼ばれており、広島空港と東側の大和町を結ぶ県道の橋です。
といっても、規模が規模で上路式固定アーチ橋のスパンとしては日本最長だったりして、ただの県道の橋というスケールには収まりきれてません。
下を走るのは沼田川と県道、JR山陽線でこれらが走る谷を一気に越えようとしたらこのスケールになった、と言った方が正しいかもしれません。
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真下に立つと、色っぽいほどに骨組みが並んでおり、竜の骨がこんな感じなのかなと思ったりします(見たことがありませんが)(笑)
県道からは200mもある大橋は、ただただ見上げるだけの雲の上のような存在です。

三永の石門

国道2号線を広島から岡山方面に走っていると、東広島呉道路のインターを過ぎたあたりで、古ぼけた石積みのモニュメントらしきものが見えます
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もっともこれはただのモニュメントではなく、旧国道を跨いだ水路橋で、現役当初は三永の石門と呼ばれてました。
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明治期に出来たもので、だんだんとレンガ積みの建築物が増える中で見事な石積みのアーチを組んでおり沿線の名物になっていました。
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時は流れて道路を拡幅するときこの石橋が邪魔になり解体の危機に陥りましたが、歴史的建造物、ということでアーチ部のみここへ移設されモニュメント化しました。
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今となっては小さな溝ですが、当時はこの付近の農業用水確保の意味合いからなくてはならない水路橋で、それを簡単に壊すのも忍びなくまたアーチ自体もかなりの値打ちモノということで残った、ということなのでしょう。
東海道に比べるとドライな雰囲気のある山陽道ですが、よく見ると地域ごとのエポックとなったものが点在しており興味深いです。

関門国道トンネル

関門海峡をくぐる関門トンネル。国道の他にも鉄道(在来線、新幹線)、人道もあるのでここはこの呼び方で…
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ポータルのフグの絵がかなり特徴的です。これまで県境のトンネルはいくつか訪問しましたが、これだけユニークなのは現時点で見たことがありません
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かなり達筆な扁額で、正直読めません…全長3,461mは一般国道の海底トンネルとしては長い方でしょう。
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トンネル前に料金所があり、さながら国境検問所のような風情でもあります。

ちなみに上記の写真は料金所を抜けたところにパーキングエリア的な休憩所があり、そこに停めて撮影しました。一方下関側はそういう設備がないので絵はありません。
開通は1958年で半世紀を優に越える「古強者」です。関門間に新たなパイパスの構想(下関北九州道路)が持ち上がってますが、半世紀越えの古強者の活躍は当面の間続きそうです。

僧清虚火焚場跡

この部崎には灯台のルーツとなるような史跡があります。
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昔から関門海峡は浅い瀬の部分もあって船が座礁するなど「海の難所」と呼ばれてました。
そこへ諸国を廻っていた僧侶の清虚が、この状況に心を痛めこの地で火を焚き行き交う船にここに陸地が有ることを知らせていたそうです。
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お経を唱える一方でずっとこの地で火を焚き続け、それは清虚が亡くなるまで続けたことから地元の住民がその功績を称えた、という話です。
明治期に灯台ができましたが、それより遙か前に一人の僧侶が海上交通の安全に携わっていたという事に因縁めいたものを感じずにはおれません。

部崎灯台

へざき、と読むそうです。
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着いて見てみるとこんな所…まあ灯台なんで高いところにあって当たり前なんですが
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登り切ったところで真っ白な灯台がお出迎えしてくれました。明治5年に稼働開始…もちろん産業遺産に指定されています。
灯台というからにはもっとスラッとした印象がありましたが、どちらかというとコロッとしてます。
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すぐ隣には関門海上交通センターの潮流信号場が建ってます。ランプのパターンで現在の潮流を数値として航行する船舶に通報しています。
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関門海峡の向こうは下関で、市街地からは少し離れています。
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そしてここは九州の北の端っこでもあります。向かいに本州が近いことから「果てに来た感」はやや薄いですが、ここが九州という島の果てかと思うと地理ヲタとしてはちょっと感慨深いものを感じます。

KDDIパラボラ館

KDDI山口衛星通信所の一角にあるPR施設です
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見学は無料。世界の国際通信の歴史から国際通信のしくみ、そのシステム維持に必要なものと結構多岐に渡って展示しています。
昨今インフラに対して軽視しがちな風潮が散見されますが、こういった資料館をじっくり見ていくとそんな事を言ってられなくなります。
auの端末紹介があったのは、まあご愛嬌と言うことで…
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やはりこのシーンは圧巻です。各方面にアンテナが向いているのも意味があって電話回線だったり、ネットの通信回線だったり船舶衛星の中継をやったりと様々な役割を分担しているとの事です。
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昔、家にパークアンテナがあるの見ると羨ましく思った時期がありましたが、ここで十年分くらいは見れたような気がするので満足しました。
ちなみに背後のパラボラアンテナは電波望遠鏡との事…

野坂峠

島根県と山口県を分ける峠です。
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舗装こそされて電柱も立ってはいますが、夜は間違いなく真っ暗な所でしょう。
このスラッと延びた峠道がまたいい感じなのですが…
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津和野から阿東方向。旧道なのですがカントリーサインは現行のものになってるのが面白いです。
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阿東から津和野方向。逆に島根側は程良くサビた県名と町名表示板が残っててこちらもいい雰囲気です。
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元々ここには津和野藩の関所があり、明治時代になって改修したそうです。石垣がキレイに整えられてるあたり
この道への並々ならぬ期待感があったことを感じさせます。
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改修の記念碑が島根県側に建ってます。傍目にはお墓のようでもありますが…

出雲高松駅跡

廃止された大社線の出雲市寄りの駅です
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ホームがしっかりと残ってました。住宅地になっているのに整地もされず残っているというのは奇跡にも似た何かを感じます。
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これ、白線の跡じゃないですかね…「白線の内側にお下がり下さい」というフレーズが思わず口をついて出ました(笑)
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出雲市側から大社方面。こうして見たらどうやら自転車道として整備されているのかもしれません。
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ここに鉄道が走っていたという証明が橋の親柱にありました。
大社線自体は大社駅の重厚な駅舎ばかりがクローズアップされがちですが、中間駅の風情というのもなかなか趣があって訪問する価値はあると思います。