炭屋さんの「行ってみました」

旅する炭屋~炭屋さんだって旅したい~

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ぷろじぇくと・バス停(バス停の写真を取り上げています)

旅する炭屋~炭屋さんだって旅したい~(乗り物に乗ったら上げるブログです)



一庫ダム

地元のネタがこれまで上げてなかったので…
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水資源機構が管理する一庫ダムです。一庫大路次川に属し、河川そのものの規模は小さいものの猪名川に合流しその先には淀川とも浅からぬ繋がりかあることから、阪神地区の治水の要として重要視されています。
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天端は県道が走っており、川西と能勢町を結ぶ主要な道となっています。
ジョギングコースにもなっているようで、曜日を問わずランナーがウロウロしています。
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ダム湖は「知明湖」と名付けられ、深緑の水を湛えています。ただご多分に漏れず渇水期には水位が著しく下がる湖でそれが関係者には悩みのタネだとか。
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下流の手前に見える橋が国道173号、その向こうには川西の住宅地が広がっています。川西北部はダムが出来たあたり(1983年)が住宅地開発が盛んな頃で、ダム近くに住宅地が密集しているという珍しいシチュエーションになっています。

重力式コンクリートダム、と言うカテゴリには含まれるのですが堤体からいろいろな構造物が出ておりなかなか特徴的な姿となっています。

六地蔵一里塚

あと数キロで中山道と合流、といったところで、住宅地の中にぽつねんと佇んでいます。
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東海道沿いということで、家屋はどちらかというとベテランの部類に属する家が多いのですが、その周りは新興住宅地といってもいいほど垢抜けています。
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小ぶりな盛り土の上にはソメイヨシノが植えられています。緑地公園となった現代的な一里塚、といった風情になっておりさしづめ「スタイリッシュ一里塚」といったところでしょうか。

吉永のまんぽ

一字違いで大変なことになるワードですが、これも東海道に残る重要な遺産と言えましょう。
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見たところただのトンネルですが、下を走っているのが東海道と言われています。そして上はというと
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大沙川が流れています…と言いたいのですが、時期的に枯れているようで(多分大雨が降ると流れるほでは)
要するに天井川を潜る隧道として掘られたのがこの吉永のまんぽ、ということになります。
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最近メンテナンスされたようで、キレイな石積みの壁が形成されていますが、開通当初よりこのような石積みであったという事で、天下の東海道にふさわしい施設、という事なのでしょう。
ところで「まんぽ」の語源はオランダ語から来ていると言われておりそれが関西訛りに変化してこの言葉になった、という説が有力なようです。

泉一里塚

東海道をテレテレ流していたら、一里塚らしき盛り土が見えたので…
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ビンゴでした。東海道の泉の一里塚でした。
実際は東寄りの野洲川にあったそうですが、こちらへ移設されたとか。

バンバン車が通る国道1号から川一つ隔てたこの地にひっそりと一里塚があるというシチュエーションにたまらなくそそられるものを感じます。
あとは…盛り土+樹木、というのが一里塚のトレンドのようです。

小坂の水口石

東海道の路傍に置かれた石です
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家屋の曲がり角に置かれていた、というのがそもそものはじまりで、「力石」という名前があったことから所謂「要石」的な存在だったのかもしれません(そこまで縁起的なものかと言えば疑問符が付きますが)
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東海道はこの力石を軸に90度に振られています。天下の街道といえど町中ではその条里に従っているというのが興味深いです。

近江土山駅

「駅」となっていますが、厳密にはバスターミナルで国鉄バス亀草線の「自動車駅」の名残としてこのような停留所名になっています。
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最近建て替えられたようで、以前は長方形の小さな小屋があってバスが回り込むようにして停まっていました。
ただ建て替えられた現行駅舎も以前のイメージを若干踏襲しているようで、平屋の家屋的な雰囲気になっています。
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来るバスはコミュニティバスの「あいくるバス」で土山や隣の甲賀市を結ぶ路線を形成しています。車庫が近いことから、ここ起終点の路線が設定されています。
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国鉄バスから西日本JRバスになり、撤退時にコミュニティバスになりましたが、過疎化進む沿線なだけに路線が残った事自体が珍しい訳で、そういった意味合いでターミナルの更新は、路線維持のために沿線利用者への積極的な利用喚起を目指しているのかもしれません。

垂水斎王頓宮跡

一見神社のように見えますが、厳密には神社ではないとも言えます。
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斎王とは伊勢神宮に仕える天皇家出身の巫女のことで、平安時代あたりは盛んに都から伊勢国へ派遣されていました。
頓宮という言葉自体は天皇が滞在した場所、という意味合いで使われていましたが、いつしか伊勢神宮へ向かう巫女の女性皇族が立ち寄ったところという意味に転じています。
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そういったことから頓宮自体、伊勢神宮と縁の深い地ということになります。それゆえ鳥居が建っていたり伊勢神宮のような建物があったりします。
ちなみに頓宮そのものは「立ち寄り所」という性格上、退去すると取り壊される傾向にあったことから「現物」が後の世に出づらい(資料のみ)ものでもありました。
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この頓宮跡も学者が資料を精査し特定したことから、全国的にも珍しい「現物の」遺構として存在します。

住吉神社

七里の渡し跡からは北へ少し逸れた堤防の上にひっそりと建っています。
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このあたりはかつて日本各所から集まってきた廻船のたまり場だっまそうです。
そういった船の航海の安全を祈願して建立されたそうです。
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鳥居の中にまた鳥居、というのが稲荷神社以外であまり見けないスタイルです。
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ちなみに正月の初日の出が、この鳥居の中から登ってくるように見えることから縁起モノになっているとの事です。
今ならインスタ映えする神社、といったところでしょうが神々のおわす伊勢国では改まった気持ちで初日の出を迎えたいところですね。

七里の渡し跡

2ヶ月ほど前に宮の渡し跡を訪問しましたが、あれの三重県側の船着き場の遺構です。
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こちらも達筆な書体で彫られた石碑があり、どうやら街道が無くなってからのものと見受けられます。
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小ぎれいに整備され公園的な雰囲気にはなってますが、資料によると当時からこの船着き場には鳥居が建っていたということなので、そのあたりは史実に忠実といえましょう。
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船着き場跡は揖斐川に面しており、防波堤に遮られ趣は無くなりました。
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京・伊勢からやってきた旅人はここで船へ、そして東海道を下って宮から船に乗ってきた旅人は京や伊勢へ…今となっては細い市道のようになってしまいましたが、かつてはここが日本の大動脈のゲートウェイの一つだったかと思うとロマンを感じます。

東海道道標

特に珍しいものという訳ではなく、ただ通りがかって気になった案件という感じで…
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見事な書体で彫られた石碑で、運転席からも「おっ」という感じでつい見入ってしまいます(もちろん前方は注視しつつ)
一里塚や追分の標識という訳でもなく、純粋に「ここが東海道である」という標識なのでしょう
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裏を見ると「明治二六年」「伊勢国桑名郡長島」と彫られていました。街道と呼ばれなくなってなお旧街道名の石標が建てられるあたり、東海道というビッグネームの存在感を感じさせます。
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目の前の川は木曽川、そこに架かる橋は国道1号の尾張大橋、少し上手に関西本線と近鉄名古屋線が走ってます。